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2009年08月14日

【ポケモン社長に聞く】(上)「自分が夢中に」「本当にいる生き物」

2009/08/14 15:05更新
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/business/other/289856/

日本が世界に誇るコンテツである「ポケットモンスター」のブランドマネジメントを担当する「ポケモン」(東京)の石原恒和社長は、産経新聞のインタビューに応じ、成功の秘訣や日本のコンテンツ産業の未来について熱く語った。

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記事本文の続き 一問一答は次の通り。

 −−ポケットモンスターを開発した時点で今ほどのヒットを予想していたか

 「最初のポケモンのゲーム『ポケットモンスター赤・緑』の発売が平成8年2月。開発にはかなりの期間を要し、本来は7年中を目標にしていた発売が、バグが取りきれずに延びてしまった。ゲームソフトはクリスマス商戦や春休みに出したいところで、2月の発売というのは、いかにも主力ではないソフトのような形だった。開発が数年にわたったことに加え、任天堂のゲームボーイも当時、ハードウエアとしての最終段階に差しかかっていたこともあり、市場も任天堂もポケモンにそれほど期待していなかった。ただ、私自身は数多くのソフトをプロデュースしてきた中で、もっと言えばこれまで存在したゲームの中で最も面白いと自負していた」

 −−その理由は

 「自分が夢中になって遊べた、というのが一番。あらかじめ世界を意識したわけではないし、アメリカ合衆国やフランスの子供たちがプレーする光景を思い浮かべて、つくったわけでもなかったが、自分の知り合いの子供や仲間に『絶対に面白い』と勧める自信はあった」

 −−どのあたりが面白かったのか

 「ゲームの面白さは世界共通。(パズルゲームの)テトリスや(アクションゲームの)スーパーマリオのように言語を超えて遊べるものは世界に受け入れられている。きちんと理解されれば、世界中の人が夢中になってくれる可能性があると思っていた」

 「とはいえ、最初は『これは無理だ』と世界は非常に冷ややかだった。テトリスやマリオに言葉はいらないが、ポケモンはロールプレーイングゲーム(RPG)。テキストを読んでゲーム中のキャラクターと会話をしたり謎を解いたりして先へ進むゲームだ。北米などでは『テキスト(文字)の多いゲームはしない』といわれ、生き物もキュート過ぎるといわれた。カメのキャラクターならゼニガメではなく、(米国漫画原作の)『ミュータントタートルズ』みたいなものじゃないとダメともいわれた」

 −−それを乗り越えて世界で評価された理由は

 「想像するしかないが、今を生きる子供たちが持つ等身大の夢が世界的に共通するからではないか。例えば少年が自転車に乗って旅をしたり、昆虫採集したり、動物を飼ったり、植物を育てたり…。こういう体験は世界の子供に共通すると思う。虫や動物のようなポケモンを捕まえ、育てて進化させ、自分の仲間として一緒に旅をするというテーマ設定や世界観が、世界中の子供が自分の身の回りの手の届くものとして身近に感じられたのではないか。ポケットモンスターの世界が持つストーリーや要素が、世界中の子供たちに親しみやすかったことが大きいと思う。そしてそれは、プロモーションなどにおいても作戦が立てやすいということにもつながった」

 −−世界へ普及する過程で心配な点はなかったか

 「テキストが正しく翻訳され、みんなが読んで理解されるのかという心配はあったが、すんなりと入ってくれたようだ」

 「ただ、翻訳作業というか各地域へのローカライズは想像以上に大変だった。それは商標や名称の問題だ。ピカチュウは世界中でピカチュウだが、それは世界中で商標として取得できているから。ポケモンは500種類近い数がおり、英語、独語、仏語に翻訳される。それぞれに商標が取れるか、他社の商標を侵害しないか、あるいはモラルや宗教に抵触しないか。 500種近くに及ぶと名前を考えるのもそうだが、1つ1つをチェックするのはもっと大変な作業だった。作業に1年程度はかかる」

 −−日本での浸透も苦労は多かったのでは

 「『赤・緑』合計の初回出荷本数は約23万本。2月末の発売から、5、6月になるにつれて販売本数が毎月増えた。増産が繰り返されるうちに、子供向け雑誌の『コロコロコミック』でポケモンの1つ『ミュウ』をプレゼントしようとしたら、何万通も応募が来た。これをきっかけに浸透するスピードが加速した。ゲームも、通常は発売初週に最も売れるものだが、『赤・緑』はずっとベスト10をキープした後、1年7カ月たった後で首位になった。驚異的な超寿命商品だった」

 −−ソフト自体にパワーがあったということか

 「その通り。当時の任天堂の山内溥社長も、『10年に1度、いや、100年に1度のようなことだね』と驚かれていた」

 −−その成功であらゆるメディアに広がった

 「ゲームが発売された年の10月にカードゲームになり、翌年4月にアニメ化、さらにその翌年には映画になった。映画は1本やれば、その後に何年かたったらまたやるかもしれないとは思っていた。しかし、現実には12年連続で上映されている」

 −−なぜそこまでの展開ができたのか

 「起源となっているゲームソフトの質が高かったためだと思う。ゲームの中のポケモンは、プログラム自体をしっかり作り込んでいた。最初のゲームには150種類のポケモンがいた。例えばヒトカゲというポケモンが最初に覚えている技がどれで、レベルがいくつになったらどんな技を覚えて、リザードに進化する。炎タイプのポケモンだから水タイプに弱いとか、草タイプには強いというように。そういう骨格や生き物としての構造を細かく厳密につくったので、他メディアに展開するときは、その作り込みを基に肉付けすればいい。カードゲームにする場合、アニメにする場合にそれぞれどう肉付けするか、ということだ」

 −−なるほど

 「もっと言えば、ポケモンをキャラクタービジネスと思ったことはあまりない。本来のキャラクタービジネスやライセンスビジネスでは、デザイン設定資料がきっちりある。ピカチュウなら、耳の長さや黒と黄色の色の幅の比率、ほっぺの赤い丸の大きさなどが細かく指定されると思うが、僕は多少耳が長くても尻尾が違う方向を向いていても、『生き物だから個体差があってもいい』という考え方だ。ポケモンは本当にいる面白い生き物として設計した。生き物というリアリティーを追求すれば、個体差がある。中身の骨格がしっかりしているから、(外見についての細かい部分では)そういう考え方ができる。ポケモンが他のキャラクターと大きく違うのはそこだろう」

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ラベル:ポケモン
posted by あゆた at 16:58| 気になるニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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